競技場の外で行われた開会式
2024年7月26日、パリオリンピックの開会式は史上初めて競技場の外、セーヌ川で行われました。選手団は船で川を下り、橋や河岸で演目が続く。雨の中の6時間でした。
2024年7月26日、セーヌ川を下る選手団の船。Wikimedia Commons / Eric Salard / CC BY-SA 2.0
東京大会の開会式の記事で「大勢が同時に同じ映像を見る瞬間は、都市伝説の温床」と書きました。パリはその見本のような日になりました。
議論になった3つの場面

「最後の晩餐」
橋の上に長いテーブルが置かれ、中央に光の冠を付けた女性、その両脇にドラァグクイーンやダンサーが並ぶ場面。構図がレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に似ていたことから、キリスト教団体や一部の国の政府から**「キリスト教への侮辱」**と抗議が出ました。
制作側の説明は「ギリシャ神話の酒の神ディオニュソスの饗宴を描いた。最後の晩餐は意図していない」というもの。実際、テーブルの上には青い全身の男性(後述)がディオニュソスとして登場します。ただ、大会組織委員会は「不快に感じた人がいたなら申し訳ない」と謝罪もしました。
「意図していない」と「似ている」は両立します。そして都市伝説の世界では、「似ている」だけで十分です。
青い全身の男
その饗宴のテーブルの上に、全身を青く塗った男性(歌手のフィリップ・カトリーヌ氏)が果物に囲まれて現れ、歌いました。ディオニュソスの表現ですが、ネットでは「異教の儀式」「悪魔崇拝」「イルミナティの入会儀式」と読まれました。
このブログでは、イルミナティの「儀式」とされるものを何度か書いています。「異教の神」「裸に近い体」「テーブル」が揃うと、この読み方が出るのは避けられません。
首を抱えたマリー・アントワネット
コンシェルジュリー(フランス革命でマリー・アントワネットが幽閉された建物)の窓に、自分の首を抱えた王妃が何人も現れ、ヘビーメタルの演奏とともに血のような赤いリボンが流れる場面。フランス革命の「自由」をテーマにした演出ですが、「処刑を祝う」「血の儀式」「王室への呪い」として受け止められました。
フランス人にとって革命は国の誕生の物語で、王妃の処刑は歴史の教科書の場面です。それを「悪魔的」と読むかどうかは、見ている側の文化によります。
「儀式」に見える仕組み
東京の記事で書いた3つの条件が、今回もそのまま当てはまります。
- 同時に世界中が見た。しかも今回は「有観客」で、現地の熱狂と映像の温度差が大きかった
- 説明の空白。演目ごとの意図は事前に説明されず、翌日に「実は〇〇でした」と後追いで出た
- 象徴の密度。フランスは革命、宗教、芸術の象徴が多すぎる国で、どの場面も何かに「似て」しまう
加えて今回は、宗教団体からの抗議という「公式の反応」があり、それが「やはり何かあった」という確信を補強しました。
東京との比較
東京の開会式は「静かすぎて儀式に見えた」。パリは「情報が多すぎて儀式に見えた」。正反対の理由で、同じ言葉に着地したのは面白いところです。
ちなみに、閉会式では「地球外から来た旅人」が黄金の像を目覚めさせるという演出が予定されていると報じられていて、こちらも「イルミナティ」「宇宙人」の噂が既に出始めています。
おわりに
「最後の晩餐」だったのか「ディオニュソスの饗宴」だったのか。制作側の答えは後者で、見た側の多くは前者でした。どちらが正しいかより、同じ絵が文化によって別のものに見えることの方が、この騒動の本題だと思います。
象徴を探す人は、パリでも東京でも同じものを見つけます。見つかるように作られているのではなく、見つけるように見ているからです。









